
今は保護犬がいないので、我が家の歴代のワンコの話でも。
病気や老齢によるペットの介護を経験した人は少なくないと思うけれど、
“今日も真面目” に、まずは2006.10.17に星になった我が家のギンジの話を。
19年前、旦那と一緒になってからすぐにペットショップで購入したヨーキーのギンジ。
旅行にも同行したし、どこへ行くにも連れて歩いた。
それまでは中型~大型の犬ばかりの飼育だったので
どこへでもバッグINで連れて歩けることに、なんともいえない嬉しさが。
ものすごく聞き分けのいい子で、ギンジと接していると
まるで心の中を全部見透かされているような、大袈裟に言えば
怖い気持ちになることもあったほど、落ち着きのある、まさにボス気質の冴えた子だった。
そんなギンジも、まだパピー時代にイタズラで消しゴムを食べてしまい、
その消しゴムが胃壁に癒着し緊急手術。
ただでさえ小さな身体の小さな胃袋は、さらに小さく縫い合わされることに。
そのせいか、元々小柄なショータイプの体格だったギンジは
ずっと太れずに2kgを超える事無く過ごした。
是非、種が欲しい・・・との依頼で、お見合いに出向き一晩頑張ったけれど結果は×。
ギンジの後に迎え入れたサブを連れ、一晩腰を振り続けて憔悴しきったギンジを迎えに行ったら
ちゃっかりとサブが乗っかって、、、見事ご懐妊(笑)
あぁ、、、ギンジの立つ瀬が(焦)
生まれた子の一匹を貰いうけ
私の実家で18歳の天寿を全うするまで幸せに暮らしたよ。
忘れられない沢山の思い出と共にギンジと過ごして14年半が過ぎた頃、、、
すでに視力は若干の光を感じるほど、耳も殆ど聞こえていないと診断され
クルクルと同じところを徘徊するくらいに痴呆も始まっていたギンジの様子がおかしい。
ぐったりとしたギンジを連れて病院へ行った私が言われた言葉。
「余命2ヶ月というところでしょう」
そ、そんな、突然何を???
激しく動揺してしまったけれど、腎不全とのこと。
血液検査の結果も、 「生きているのが不思議なくらいの数値」 と。
その日はそのまま入院となり、眠れぬ夜を過ごした翌朝一番で病院へ向かい
改めて今後の治療方針を相談。
出来れば自宅で療養させたい旨を伝えると、
「病院で息を引き取るより、
ママの傍で逝かせてあげたほうがいいでしょう」
と、先生も渋々ながら了承。
毎日毎日片道40分かけて点滴に通い、2時間おきにギンジの給仕。
その間の下の世話。
夜中から明け方になると身体に似つかわしくない大きくて変な声で鳴く。
私を必要とする子はギンジの他にもいたから、殆ど寝れずにしていた介護にイライラも募り
爆発寸前の精神状態になってしまったりもしたけれど、
2ヶ月だなんて冗談じゃないっっ!!
これからまだ2年は一緒にいるんだ!!
絶対に死なせるものかっっ!!
毎日そんなことばかり考えていた。
その気持ちが通じたのか、ギンジは先生もビックリするほどの奇跡的な快復を見せ、
毎日の点滴が4日に一度、そして1週間に一度になり
「2ヶ月」と余命を宣告されてから半年が経った頃には、2週間に一度の点滴でよくなっていた。
安堵したのも束の間、またまた “生きているのが不思議な数値” 状態になり、
ギンジは何度生死を彷徨っただろう。
本来、入院して酸素室に入る状態ならば・・・と、
当時ギンジに飲ませていたのがこれ。

高濃度酸素水。
飲み水はもちろん、a/d缶を溶くのもこの水を使った。
一度封を開けてしまったのはギンジに使用せずに、すぐに私が飲みきった。
だって、封を開けたら酸素が逃げて行ってしまいそうだったんだもの。
その当時に知っていれば酸素水の他に飲ませてやりたかったのがこれ。

知り合いからとてもいい商品だと教えてもらったのは、残念ながら、ギンジやサブ
そしてメリーが亡くなった後だった。
もっと早くに知っておきたかった一品。
こうやって振り返ってみると、あぁしてやれば良かったな・・・こうしてやれば良かったな・・・
と、後悔ばかりが出てくるな。
その後数回、 「心の準備をしておくように・・・」 と言われるほど危険な状態になっても
その度に驚異的な快復を見せたギンジ。
一度ならず二度まで。
二度ならず三度までも。
先生も
「ギンちゃんの生命力には驚かされます!!」 と。
・・・でも、その快復も4度目はなかった。。。
目の見えなくなっていたギンジでも、虹の橋まで迷わず行ける様に・・・ということだったのか
10月半ばだというのに、暑いくらいの日差しが眩しい朝。
2ヶ月という余命を宣告されながら、1年半も頑張って生きてくれたギンジは
最期に深く大きく息を吐き、私の腕の中でそっと旅立ちました。
いつかは必ず訪れる別れだと、頭では分かっていても
何度経験しても、やっぱり辛い。
抜け殻になりました。
心に大きな穴が空いてしまって、どうしようもない空虚感に襲われました。
毎日毎日とめどなく溢れてくる涙を止めることも出来ず、泣いて暮らしました。
誰とも会いたくないし、誰とも話したくない日々が続き・・・
そして、、、
ギンジが星になってから1ヶ月もしないうちにサブまでが旅立ち・・・
なんとなくではあったけれど、サブの異変に気がついていた自分を責めて責めて。
自分を責めたところでサブは帰って来ない。
大事な大事なギンジとサブが星になってから、
私の悲しみも少しずつ和らいでいた時、ある日突然現れたテン。

身体には、まるでギンジとサブが寄り添っているかのようなシルエットを携えて。

頭のてっぺんには、まるで 「天から来たよ」 とでも言っているかのような点が。
だから 「テン」 と名づけた。
そしてテンは、名づけてしばらくしてから何の気なしに数えてみると、
今までに私が家族として一緒に過ごしてきた犬としては
10番目=TENにあたる子だった。
無理矢理なこじつけかも知れないけれど、不思議な縁を感じるテンとの出会いでしたよ。
テンや他の子の話はまた今度。
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こんにちは。
結構前のブログへのコメントお許しください。私も以前の犬の介護を思い出しました。載っていたDr.のり子のサプリ、私は飲ませていました。できることはなんでも…て気持ちは飼い主共通ですね。そのほかいいと聞いたトランスファーファクターも。抗がん剤だけでなく、いろんなことを試したことが思い出されました。私はもこが死んだ時、自分も死にたいと思ってしまいました。いやはや、主人や子供がいながら何とも無責任だけれども…
テンちゃんとの出会いはまさに運命のようですね。
mocoさんへ 
mocoさん、こんにちは
このサプリ、飲ませてあげていたのですね!
私は亡くなったあとに知人から教えてもらたので、とても残念です。
もし飲ませてあげていたらもうちょっと違ってたかな?とか、結局今になっても後悔は尽きないのですが。
介護している間、がむしゃらに一生懸命頑張って悔いのないようにしているつもりでも
終わってみると、どうしても後悔が付いて回って・・・
こうしていたらこうだったのでは?とか、あの時こうだったら・・・とか、、、
これはいつ何時経験しても付いて回るものなのかもしれないですね。