

この震災に関連して、情報伝達の早いネット社会で
数え切れないほどのデマも流れ
数え切れないほどの不安を煽る情報も溢れ、
そして数え切れないほどの言葉を失う状況も目にすることとなりましたが
何が正しくて何が正しくないか、冷静に見極める必要があると同時に
またその逆で
何が正しくて何が正しくないかだなんて、不自由なく暮らしている私達が論じるべきでないのでは?
そう思うことも多々ありました。
絶句を通り越して、身が震える思いになるような悲惨な状況をありのまま画像で伝える事、
それについて論じること、
一部の人気ブログなどでは、それが正しいのか正しくないのか、どちらにしても
管理人自らがどちらかを断言してしまう事に対して、誰からも違う意見が唱えられない違和感。
私はそうは思わないなぁ・・・と思っていたとしても
意見に反対であることを表すると、疎外感を感じるからでしょうか。
右習え!!することで、仲間意識の確認をしているようで妙な違和感も覚えたよ。。。
例えば、、、共食いという現実を公表するということで世間では大きな論議を呼んでいますが
これが現実なんだから!どうにかすべき!と公表する事がいいのか
家族や目にする人に配慮して多少なりとも画像加工をすべきだったのか
私にはどちらが正しいか正しくないかは分かりません。
個人的には地獄絵図のような状況も知るべき。という気持ち半分と
モザイクやぼかしなど入れるか、もしくは現状を伝える文章だけでもいいのでは。という気持ちが半分ずつです。
どういったことが 『配慮や思いやりがある』 ということになるのか
どういったことが 『配慮や思いやりにかける』 ということになるのか
人それぞれ感じ方も違うでしょうし、一概にひと括りにはできません。
ただ、あれ(亡骸)をみて配慮がない!!と糾弾する人もいれば
こんな酷い現実を知って欲しい!!と関係者自らが公表を望む場合もあるということ
それらを踏まえると、
『ああいった画像を公表すること、絶対に許してはいけない!と言い切る私は正しい!!』
そう断言してもいいのでしょうか。
例えば他にも、とあるカメラマンさんが、原発の立ち入り制限の出ている中
何も出来ないけれど、テレビなどでは伝えられない本当の現実を知って欲しい!
その一念で目を覆いたくなるような現状を一枚一枚心を込めて撮った画像を見て
私は彼がその画像も某週刊誌に提供するから、、、という理由だけで糾弾する気にはなれません。
彼のブログを見る限り、いかに動物を愛しているかが一目瞭然です。
少なくとも私は彼の撮影に悪意は全く感じません。
それに、私だってセンターの子達を撮る時は
救えない申し訳なさと同時に、人知れず命を落としセンターの露と消えるのではなく
生きていた証を残してやりたい!!という気持ちもあるし
また逆に、これがもし誰かの目に止まって、命を落とさずに済むかもしれない!という思いもあるから
あるからこそ震える手を押さえながらもあの子達を撮ります。
知らなくていいこと、知るべきこと
平和ボケしてしまっている今はもう、そんなことを論じているレベルではなく
金儲けの為でもなく、自分の知名度を上げるためでもなく、自分の正当性を高く掲げるでもなく
心から誠意をもって訴えていることの正義は、欺瞞のない澄んだ心で見れば分かるはず。
みんな感情や思考能力はあるんだから、何らかの形で情報を発信している訳だけど、その良し悪しを判断するのは受取る側の裁量。でも、デマは別として、その判断に「絶対」ってことはあり得ない、ってこと
友人のこの言葉に、頭の足りない私でも深く頷けました。
助けたい、助かって欲しい、何かしたい、何かしなければ
そういう気持ち、根底はみんな同じだと思うのです。
・・・と、私にしてはちょっと真面目な話になっちゃいましたが・・・
ただ純粋に自分の出来る事から、ただ直向にこなしていけばいいのだと思うのです。
それが誰かの為になるなら、それで救われる何かがあるなら
それはぞれで素晴らしいことじゃないですか。うん。
『思いやりのない言葉に傷つけられた!!』
と、鼻の穴を膨らませて憤慨する人もいますが
そこに至るまでの間、自分は相手に少しでもリスペクトした気持ちを持って接していたのか
はたまた、思いやりがない・傷ついたと感じるのは憤慨している自分だけで
実はその投げかけられた言葉にとても深い愛情がこもっている場合もある、と思うし
自分は相手を傷つけるような言葉を発していないのか、疑問に感じるケースもあるでしょう。
だから、友人の言葉通り、どんなことも受け取る側の裁量もあるかと。
それらは野球で言えば、ストライクの時もあればボールの時だってあるよね。
たまに敬遠の時だってあるでしょ。
投げる側と受け取る側と、放たれたボールがカーブであっても直球であっても
ナックルボールであっても(笑)こぼすことなくキャッチボールが出来たりしたらいいのにね。
立ち止まって振り返ることはあっても、前に進むしかないんだ。
振り返ってばかりで、そこで立ち止まっていては一歩も進めないんだ。
頭ではそう分かっていても、右往左往するのが人間だよね。
しょうがないよね。
そんなことをない頭で一生懸命考えていた昨日4月20日は
エムが亡くなってちょうど一年・・・。
なんだかしんみりしていたのも束の間、突然
ガンッッ!!ゴロゴロゴロ・・・ガツガツ・・・ドンドン・・・
・・・・ぷすぅ~~~~っ・・・・
・・・しゅうぅぅーーーーーっ・・・・
えぇ??なんの音???!!と見に行くと
きっと飲まずにいられないだろうと買っておいたビール、見事に大和の餌食に(;_;)
しかも2本も(号泣)
冷たすぎるビールは好きじゃないので、冷蔵庫から出して置いておいたのよ。
でもね、大和、もうね、流しには楽々顔が届いちゃうので、流しの上に置いてあるものを取るのは
おちゃのこさいさいっ

スチール缶だって噛んじゃうんだもん、アルミ缶なんて豆腐みたいなもんだよね。
とほほ・・・
まぁ、はいどうぞ。と言わんばかりに置いておく仮ハハが悪いやね(^^;)
その大和、いつもこうやって玄関に座ってます。

一段高いところにお尻を乗っけて(^^)
30分程度の留守番の場合は、このままの体勢で待っててくれます。
玄関開けた時にこんな大和に会える仮ハハは嬉しくてニヤけちゃうけどさ
待つなら本当の家族を待ってようね、大和。


ぎゃははははっっ
仮父につままれてるのはまだ生後5~6ヶ月程度のネロとヴィヴィ。
ちょうどこの時、先代のピレ、メリーが亡くなった頃で
皆さんから頂いた綺麗なお花や写真立てやら、倒しまくって遊んでたのをとっ捕まったとこ(笑)
何もする気も出ず、泣いてばかりの毎日だったけど
この光景で久々に思いっきり笑えた。
お母さん、なるべく笑っていられる毎日にするからね。
エムちゃん、お空で見ていてね。
災害時の愛玩動物同伴可能の避難所の確保と増加及び、
愛玩動物入居可能の仮設住宅の確保と増加と建設を求める署名を求めています。
ぽちたまでお馴染みの松本君のブログ、もしくはNDS公式サイトで確認してください。
松本くんのブログ
NDS公式サイト
署名用紙は必ず郵送で、、、とのことなので、その点ご留意くださいね。
期限は今月30日までですよーっ!!
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- 赤いプリーツスカート (2011/05/12)
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何が正しいか、正しくないか。。私は自分の思ったことを書いたまで。 それに対して反論するならすればいいし、同意するのであればそれもそれでいい。みんな個人個人価値観が違うから。でも、私は間違ったことを人に伝えようとはおもわない。
共食いをしてる写真もブログもみました。私はいつも死体と接してるからどうもおもわないけど、見る人によってはもちろん、ひどい、こんな写真なんで載せるの?とおもうでしょうね。 その写真を載せるのが、正しかったのか?と問われれば、これまた人によって価値観が違うからね。
あくまでも自分のブログなんだから、自分の好きなことを書いてもいいとおもう。
それに対して読みたくないのであれば、スルーすればいい。 わざわざ反論をコメントに残す必要はないとおもう。 それって、ただのブログ荒らしになる原因やもんね。
ま、とにかくアメリカの私のできることは、ブログで今の現状を少しでも、人にわかってもらうこと。 同じ日本に住んでいて知らない人が多いもの。 私の友達のご両親は凍死しました。 そんなこと、日本に住んでる人知ってますか? 津波と地震から生き残れたのに。。だから、私は彼女のために訴えます。政府にたいして。 無力かもしれないけどね。。 そして、こうして生きてる自分、幸せな毎日を過ごせることに感謝でしょう。人を批判するのは、簡単。その前に一呼吸してほしい。。と偉そうなことを言ってる自分に一番必要なことです。(^^ゞ
- 2011/04/22 Fri
- [Gumi Bear]
- 編集
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エムちゃん、もう1年ですね。早いものです。れおらさん、毎日忙しい生活を送られているから、つい昨日の事の様でしょう。エムちゃん、れおらさんの応援隊長としてず~~~っと見守ってくれていますね!「母さん、がんばれよ~」って。
Gumi Bearさんへ 
Gumiさん、こんばんは
えーっと、念のため、誤解のないように書いておきますが
今回の記事はGumiさんのことを捉えて書いてあるのではないです。
もちろん、Gumiさんが仰るように
>あくまでも自分のブログなんだから、自分の好きなことを書いてもいいとおもう。
これはその通りです。
なので私も感じたままを素直に書きました。
あの悲惨な事実は論議を呼んでいる話題ですから、超人気ブログでも取り上げられていた内容で
『絶対にあんなこと(画像を載せること)は許しちゃダメだ!!』と言い切っておられたり
他のことに関しても、ご自身の親戚がみんな被害に遭ったことを踏まえて糾弾する内容も書かれておりました。
確かにそれもご本人のお気持ちをご本人のブログで書く訳ですから、一向に構いませんが
相当数の右習えのコメントを見て感じたままを私なりに。
津波から逃れる事が出来た方の中にも、過酷な避難生活で命を落とされるケースもあること
知っています。
私の遠い親戚(血の繋がりはありませんが)も被害に遭いましたし、弟のお嫁さんのご親戚も被害に遭われました。
とても仲良くしている友人の旦那さんの祖父母も行方知れずで悲しみで落胆しています。
決して関係のないところで起きていることではなくどこかでみんな繋がっています。
だからこそ、自分の気持ちのまま、出来ることから何かしらの助けになることなら
どんどんやっていいと思うのです。
糾弾したり非難したりで止まっていては進まないと思ってるんです。
そう、冷静に。
熱くなってばかりでは周りが見えなくなることもあります。
冷静に着々と、出来ることからお手伝いになることをすればいい。
そしてそれが誰かの為になるなら、どんな小さなことだっていい。
今ここで生かして頂けていることに感謝しながらそれらをこなしていければいいと、そう考えています。
りりまむさんへ 
りりまむさん、こんばんは
今また、ぐら~~~っと揺れてます。。。
こんなに頻繁に揺れていると、ただでさえ大変な避難生活をされている方々には
揺れが小さめでも相当のストレスですよね。
被災地の皆さんが一刻も早く安心して暮らせるようになること、願ってます。
そうなんです、、、思えばもうあれから一年。
ホントにあっという間でした。
りりまむさんにも温かくお優しいお心遣いを頂けて
あのときに頂戴した可愛い~~プリザ、今もエムの遺骨の横で
そっと微笑んでくれていますよ~~
りりまむさんのお気持ちも混じって、可愛いお花が本当に和みます(^^)
ありがとうございます♪
見守ってくれているとそう信じています。
姿を見たり、気配を感じたりは結局一度もないですが(超残念・・・)
でも、心はいつでも一緒です。
エムや、歴代亡くなった子達に恥ずかしくないように生きなきゃ!!って思います。
れおらさん
久しぶりです。
感じる事は、皆がそれぞれの立場で、正義を貫こうとしている。と言う事です。
世の中は過剰に反応したりします。
人の尺度はその人の尺度で言ってきます。
類は類を呼ぶ。
いかに、冷静に判断するか?おのずと見えてきます。
こんな悲惨な状況が日本の中で起こっているにも関らず、傍観できる被災地外の私たちは、やはり、平和なんですよ。
こんな事で日本は潰れません。日本人は力があります。
れおらさんが書いている通り、同じ意見ばかりには違和感がありますね。
誰かが、現状を公表するからこそ、現状を知ります。それを見た人が、どう感じるか?受け側の裁量が問題です。
やはり、日本は平和なんですよ。
雷牙ぱぱさんへ 
雷牙ぱぱさん、こんにちは
そうなんですよね、受け取る側の裁量も大いに関係するんだと思います。
どこぞのどなたかが糾弾されていたカメラマンさんの画像を見て、
牛や馬を助けようと重機を運び入れて救助してくださった方もいました。
やはり、伝えなければ伝わらない。
知らせなければ知らないまま、なんですよね。
だからといって闇雲にやたらに発信するのも考え物ですが
極めて冷静に淡々と、伝える言葉を選びつつ発信することの大切さ。
私自身もよく考えていきたいと思っています。
でもほんと、やっぱりどこか平和ボケしているようで
なんだか勝手に危機感も感じます。。。